2010年12月25日土曜日

Think in Englishに挑戦開始

Saturday, December 25, 2010

松本 亨先生には面識がないものの、ラジオから流れてくる流暢な英語、そして本に書かれている英語の学習方法は、目からウロコが落ちるというにふさわしい内容でした。

松本先生のご出身が同じ北海道ということもあったのかも知れませんが、非常に強い親近感が湧いていたのも事実ではあります。さらに、そこに掲載されていた英語学習方法は、今考えれば当たり前のことだったとは思いますが、知識レベルが高校生のままであったマサ少年には、斬新極まれりでした。

松本先生の考え方は、Direct Method とかCommunicative Approachとか言うレベルではなかったのです。英語は自分たちの言葉ではない。従ってインプットをしなければアウトプットはできるわけはないだろう。だからまずは徹底してインプットせよ、ということでした。

そして、使うということは、実際に使える場面に出会うまでは知識や技能を温存するのではなく、自ら率先して使う環境を作りなさい、ということです。

この二点を徹底して実践することが、異言語をマスターする唯一無二の方法であるというような内容であったと思います。

マサ少年は、そこからその実践を少しずつ始めます。ところが、マサ少年が実行していたレベルは松本先生のお考えや実践されていたレベルとは月とスッポンほどの差があったのです。

それにマサ少年が気がつくのはまだ先のことです。

とにかく、1971年冬の札幌プレオリンピックがマサ少年に与えた突然のチャンスは大きな大きな転換をマサ少年に与えたのです。

それから、札幌の町にはチラホラと外国人観光客や、中期の滞在者が増えてきました。
マサ少年の父親の現像所にも、外国からのお客様が来るようになりました。

彼らは日本の思い出を写真に取ります。今と違ってアナログですからデータの保存はできません。必ず現像をして焼付けなければ写真になりません。また、彼らはそれが自分で、しかも低価格でできることにとっても共感をもって受け入れます。

スティーブンというアメリカ人もその一人でした。週に1、2回はマサ少年の父親現像所に通うようになります。マサ少年は英会話スクールに行く必要ありません。自宅に英語を話す環境が作られたのです。

これもマサ少年の英語学習モチベーションを継続させる大きな力となりました。

松本
1913914 北海道網走郡美幌町に生まれる。
19367 第二回日米学生会議日本代表としてアメリカに渡り、同年9月ニューヨークのユニオン神学校に入学。
19388 ユニオン神学校卒業後、アメリカ国内でYMCA配下の学生会の仕事をする。
19388 ヨーロッパに渡りフランスとイギリスを訪問してアメリカに戻る。
193810 長きにわたるアメリカ国内講演旅行を開始
1941128 太平洋戦争開戦に伴い敵性外国人として拘留される。
19423 捕虜収容所へ移される。
19421030 釈放され、教会での仕事に復帰。教職の資格を取り、精力的に米国内を講演旅行。講演数は1000を越える。
1949 コロンビア大学教育大学院修了。教育学博士(Doctor of Education)
1949913 帰国。
帰国後明治学院大学、日本女子大学、フェリス女子学院大学にて教鞭を執る。
1951 NHKのラジオ英語会話の講師となる。
1968 松本亨高等英語専門学校(のちにフィニックス英語学院と改称。現在は閉鎖)学長に就任。
1971 NHK放送文化賞受賞
1971 マサ少年がラジオ講座を聴き始める
19723 ラジオ講座のメインの講師を退任するも週末の特別コーナー担当を1年間続ける。
19796月死去

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