2010年12月30日木曜日

松本 亨氏の学校の門を叩く

Wednesday, December 29, 2010

マサが大学受験をしていた1970年代前半の
日本の状況を見てみましょう。
1970年の高校進学率は82.1%(現在96.4%)大学進学率は28.6%(現在52.9%)です。
大学の数も限られており、マサ少年は基礎学力が全く身についていなかったために相当苦労をしていました。同時にマサ少年には明確な目的もなく大学受験突破への強い意志すら感じられませんでした。

でも英語での活躍機会は、ルーズで怠慢なマサ少年の心に火をつけたことは事実です。

ものすごい勢いで世界が動いていました。
日本の経済もどんどんと伸びてきました。
しかし、1973年に第一次オイルショックで先進諸国の経済は混乱し、日本経済も大きな衝撃を受け戦後高度経済成長が終焉しました。

オイルショックとはOAPECが原油の生産削減を宣言、同時にOPECは原油価格の70%引き上げを通告。さらにアラブ産油国は次々とイスラエル支援国であるアメリカ、オランダに対する石油禁輸措置を発表した。これら一連の措置は石油を武器として中東戦争を支援する「石油戦略」とよばれる。停戦後生産削減・禁輸措置は緩和されるが価格はさらに引き上げられ、それまでほとんど変動のなかった原油価格はわずか3ヶ月ほどで3ドルから11.65ドルに急騰した。

その年1973年にマサ少年は札幌から東京にある「松本 亨幸等英語専門学校」へ問い合わせをします。入学希望者は400字詰め原稿用紙10枚で志望理由を記述する課題を出すことになりました。後は面接試験とのことでした。

スマイル・マサが井の頭線の三鷹台にいた玉山君(日大に進学)のアパートに泊めてもらい、渋谷の宮益坂の上にある仁丹ビルの裏にあったその学校で面接試験を受けることになります。

そこでもまた、面白い事件があります。

面接担当者の先生は山中先生という先生でした。その先生の前に座って、英語の質問に英語で回答をするのです。日本人の先生でも英語はネイティブスピーカーと同じにしか、マサの耳には聞こえませんし、そのようなハイレベルな人が居ることも松本先生の講座(このときには東後勝昭先生に代わっていましたが)で思い知っていましたから、驚きません。

その質問の一つで、マサはお惚けをしました。これも忘れられません。

山中先生が“Where are you from?”とたずねてきたのです。
で、マサは、My father is from . と答えたのです。

なぜだか皆さんはお分かりになりますか??

マサには“Where are you”の音が“oya from”=親 from に聞こえたのです。

だいたい英語の質問で「親 from」などと言うわけがありませんが、上がってしまっているマサは判断できずに、「oya=親=my father」との理解があったのでしょう。

また、そんなこんなで、大学進学ではなく、松本 亨高等英語専門学校に入学することになります。

ここからやっと英語の本格学習が指導します。

英語はこのようにすれば学ぶことができると初めて人に言える方法の第1章が始まります。


0 件のコメント: