Friday November 19th 2010
道立○○高校は実在していますので、実名を避けようと思い、一方で○○高校よりは凸凹高校が良いかななどと思い、さあどうしようという結論として、何でも「マサ」を呼称の中心に添えようということにします。ですから、マサ少年が通っていたのは道立マサ高校(通称マサ高)ということにします。
マサ高でのマサ少年には、もう勉強との接触点が
本当に希薄になります。
マサ少年の頭は学帽を乗せるための道具と化します。
(1960年代~70年代には
高校生の男子は中学生のように学生帽をかぶっていました。)
さらに悪いことに、その中身は筋肉になっていっていました。
マサ少年が3年間でやったこと、というよりも彼の記憶に残っているのは、毎日原野を走り回ったこと。(学校周辺には当時は原野に近い自然がありました)
これによって足腰は非常に丈夫になりました。肺活量も伸びました。少なくとも札幌の少年たちは、冬に相当量の雪かきをすることで筋力は鍛えられます。さらにクロスカントリーですから、相当の体力は備えました。高校3年生の時の全国マラソン大会(原野を12、3キロ走るクロスカントリー)では第6位に輝いています。
それ以外の記憶と言えば、「樺島」という女子を好きになるけど、見事に相手にしてもらえなかったこと。学生運動がピークを迎えて1969年には東大の入学試験が中止になったこと。その影響は遠く北海道まで流れ北大を中心とした学生運動が札幌市内の高校に蔓延していったこと。1970年に三島由紀夫が市谷で自害したこと(これは壮絶な事件でした)。大阪万国博覧会が開かれ、岡本太郎作の「太陽の塔」が有名になったこと。71年には札幌で冬季五輪の「プレ五輪」があったことなど日本の歴史を作ってきた様々な出来事が起こりました。
コカコーラが大流行したこと。二輪のホンダが四輪を生産し始めホンダZが一斉を風靡したことなどもありました。
マサ少年の学業面での活躍はすべてマイナスの活躍ばかりです。
何も考えていない、ただの高校生です。
高校3年生の1学期に数Ⅲで「1」を頂いたこと。
ショックです。
英語も良く理解できていなかった記憶ばかりです。
マサ少年の高校時代に英語に関して「3大事件」が発生します。
1つ目は、英語がさっぱりわからなくなったこと。
何といっても嫌だったのは、「嵐が丘」(E・ブロンテの長編小説)をペーパーバックで読むことでした。主な作業は直訳作業です。
日本語でも読みたくもない作品を読まざるを得ないこと自体が死ぬほど嫌でした。
拷問でした。
でも、不思議に英語自体は嫌いではなかったことです。
ですからマサ少年は、当時の高校生に大人気だったペーパーバック
「Fanny Hill」(John Cleland作)
をむさぼるように読んで興奮していた記憶はあります。
ただし、その読書でついた英語力は前後関係からの推測力とあとは妄想力だけですが。
2つ目は高校1年生の時に起きたことです。
丸太先生という代講の先生がしばらく来られていたときの授業です。
それをマサ少年は「often」事件と読んで忘れてはいけない教訓にしています。
これが今でもマサ少年の教訓になった理由。
そして、
最後は・・・・・・・
これらは来週にご紹介します。
11月26日(金曜日)へ続く
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