2010年11月12日金曜日

めでたく合格。そこはどこ高校。

Friday November 12th 2010

家庭教師松井のおかげでマサ少年の成績はぐんぐんと上がっていきました。
いよいよ受験する高校を決定する時期になりました。

マサ少年の時代から、札幌市内の高校学区が小学区制度から大学区制度に変わります。
それまでマサ少年の学区は公立高校は東高等学校の学区でした。
ところが、マサ少年の受験から大学区に変わりましたから、札幌市内の公立高校はどこでも受験することができるようになりました。
また、これに伴い、偏差値と内申点という新しい概念が持ち込まれます。もともとは偏差値で決まっていた受験指標が内申点を換算してその両面で受験可能な範囲を決めることになったのです。現在と違って実際は受験成績で入試の得点に内申点を5:5とか6:4で加味することはありませんでしたが、受験校決定の指標として捉えられるようになったのです。

札幌市内の公立高校は、成績上位からだと、南高校、西高校、旭ヶ丘高校、北高校、開成高校(東京の著名な私立とは異なります)、東高校、月寒高校、啓成高校(新設3年目)という序列ではなかったかと思います。これらが普通科の高校で、その他に京北商業など商業高校と工業高校が並んでいます。啓成高校には理数科という特別なクラスもありました。

マサの母親はできれば、トップまたは順トップには行って欲しかったと思われます。父親は当時の第一中学校(現在の南高校)出身ですから、やはりトップとは思っていました。しかし、偏差値と内申ではそこまでは届かずという状況のため、まぁ、旭ヶ丘高校には行ってほしかったと思います。というよりもそのような話し合いは進んでいたと思います。

しかし、マサ少年の担任の木村先生は、それを許しませんでした。彼女は今思えば、不合格を出したくなかったのでしょう。安全圏のさらに安全な○○高校を受験することを薦めます。

マサ少年の結論は、木村先生の意見の通りでした。
その夜、マサ少年は母親に問われます。「どこを受験することにした?」
「○○高校」だ。

その時の母親の顔と言葉をマサ少年は忘れられません。
「どうしてチャレンジできないのだ。レベルを下げることにどうして納得したんだ。情けない奴だ。」と涙を流しながら言うのです。マサ少年の母親は苦しさや悔しさを乗り越えて来た人でした。だから、自分ができる最大限を使わない息子の態度に腹を立て、残念にも思ったのでしょう。

でも、マサ少年はその真意を汲み取れるほど洞察力がある少年でもなく、自分に強い少年でもなかったのでした。

受験が終了し、入試得点を調べてみると、何と旭ヶ丘にも十分に合格することができる得点をとっていました。(家庭教師松井は高校の先生でありましたから、内密に調べてくれたようです。)

それでも、過ぎた道には戻れません。マサ少年は○○高校に進学し、いよいよ高校生活をスタートすることになります。

はたして、こと英語に関して言うと、マサ少年の高校での学習はいかなるものになるのやらです。

※登場する高校名は当時のものです。
※マサ少年の進学先を○○高校としているのは、その高校へご迷惑をおかけしないためです。
マサ少年のようなバカボン少年の言動がその高校とは一切関係はございません。
すべて人生の責任はマサ少年が負うものです。


11月19日(金曜日)へ続く

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