2010年11月26日金曜日

Often のことと3つ目の事件

Friday November 26th 2010

昨日1125日は「憂国忌」でした。
この言葉をご存知の方は非常に数ないと思います。
1970年(昭和45年)の1125日のことです。

1970年には万国博覧会が大阪千里丘陵で開催され、
岡本太郎氏の「太陽の塔」がとっても有名でした。

そしてこの「憂国忌」です。
これは、作家の三島由紀夫氏が市谷の自衛隊にて
檄文を掲げ、自衛隊に決起を訴えた後、
自ら切腹(介錯あり)にて命を絶った大事件です。

三島由紀夫の遺稿となった小説「豊饒の海」第4部作
最後の「天人五衰」の末尾に昭和451125日と
記載され、これを脱稿した後に自らの組織である、
「盾の会」を率いて市谷へ向かったとされます。


さて、話しはマサ少年の高校時代に戻ります。
このときマサ少年も高校3年生の年です。
友人のG君が「三島由紀夫が切腹した!」
と叫びながら大衝撃を伝えまわっていました。

マサ少年が今になっても教訓にしている事件
それが、前回お伝えした「丸太先生」の
事件です。

話はとっても簡単なことです。
listen oftenという単語があります。
中学校のときにこれらの t は黙字と言って、
発音はしないんだよと言われていました。

しかし、「丸太先生」はoftenを〔オーフン〕
ではなく、〔アフトゥン〕と発音されたのです。

当然、黙字という思い込みインプットが
クラス全員でありましたので、
「あいつはoftenをオフトゥンと発音をする。
とんでもない先生だ。」

ということで、丸太先生を心の隅ではなく、
全面で小馬鹿にしてしまいました。


さて、さて、マサ少年が大人になり、
仕事にもつき、東京恵比寿にK某英会話スクールの
マネージャーを担当しているときのこと
ニックというイギリス人専任教師が
often を〔オフトゥン〕と発音したのです。

これを聞いて、確認をしたときに、
そして、改めて、辞書の発音記号を見たときに
マサ少年(すでにスマイルマサ氏)は
大ショックを感じたのと同時に、丸太先生に心の全面で
申し訳ないなと叫んだのと同人に、

思い込みはしてはいけない、
不思議はきちんと自ら調べて確実な
知識にしなければいけないという教訓にしたのです。


最後の大事件3は1971年に起こります。
浪人時代のことです。


これらは来週にご紹介します。


12月3日(金曜日)へ続く

2010年11月19日金曜日

マサ高校でのマサ少年

Friday November 19th 2010

道立○○高校は実在していますので、実名を避けようと思い、一方で○○高校よりは凸凹高校が良いかななどと思い、さあどうしようという結論として、何でも「マサ」を呼称の中心に添えようということにします。ですから、マサ少年が通っていたのは道立マサ高校(通称マサ高)ということにします。

マサ高でのマサ少年には、もう勉強との接触点が
本当に希薄になります。
マサ少年の頭は学帽を乗せるための道具と化します。
(1960年代~70年代には
高校生の男子は中学生のように学生帽をかぶっていました。)

さらに悪いことに、その中身は筋肉になっていっていました。

マサ少年が3年間でやったこと、というよりも彼の記憶に残っているのは、毎日原野を走り回ったこと。(学校周辺には当時は原野に近い自然がありました)
これによって足腰は非常に丈夫になりました。肺活量も伸びました。少なくとも札幌の少年たちは、冬に相当量の雪かきをすることで筋力は鍛えられます。さらにクロスカントリーですから、相当の体力は備えました。高校3年生の時の全国マラソン大会(原野を12、3キロ走るクロスカントリー)では第6位に輝いています。
それ以外の記憶と言えば、「樺島」という女子を好きになるけど、見事に相手にしてもらえなかったこと。学生運動がピークを迎えて1969年には東大の入学試験が中止になったこと。その影響は遠く北海道まで流れ北大を中心とした学生運動が札幌市内の高校に蔓延していったこと。1970年に三島由紀夫が市谷で自害したこと(これは壮絶な事件でした)。大阪万国博覧会が開かれ、岡本太郎作の「太陽の塔」が有名になったこと。71年には札幌で冬季五輪の「プレ五輪」があったことなど日本の歴史を作ってきた様々な出来事が起こりました。
コカコーラが大流行したこと。二輪のホンダが四輪を生産し始めホンダZが一斉を風靡したことなどもありました。

マサ少年の学業面での活躍はすべてマイナスの活躍ばかりです。
何も考えていない、ただの高校生です。
高校3年生の1学期に数Ⅲで「1」を頂いたこと。
ショックです。
英語も良く理解できていなかった記憶ばかりです。

マサ少年の高校時代に英語に関して「3大事件」が発生します。

1つ目は、英語がさっぱりわからなくなったこと。
何といっても嫌だったのは、「嵐が丘」(E・ブロンテの長編小説)をペーパーバックで読むことでした。主な作業は直訳作業です。
日本語でも読みたくもない作品を読まざるを得ないこと自体が死ぬほど嫌でした。
拷問でした。

でも、不思議に英語自体は嫌いではなかったことです。
ですからマサ少年は、当時の高校生に大人気だったペーパーバック

Fanny HillJohn Cleland作)

をむさぼるように読んで興奮していた記憶はあります。
ただし、その読書でついた英語力は前後関係からの推測力とあとは妄想力だけですが。

2つ目は高校1年生の時に起きたことです。
丸太先生という代講の先生がしばらく来られていたときの授業です。
それをマサ少年はoften」事件と読んで忘れてはいけない教訓にしています。

これが今でもマサ少年の教訓になった理由。
そして、
最後は・・・・・・・

これらは来週にご紹介します。

11月26日(金曜日)へ続く

2010年11月12日金曜日

めでたく合格。そこはどこ高校。

Friday November 12th 2010

家庭教師松井のおかげでマサ少年の成績はぐんぐんと上がっていきました。
いよいよ受験する高校を決定する時期になりました。

マサ少年の時代から、札幌市内の高校学区が小学区制度から大学区制度に変わります。
それまでマサ少年の学区は公立高校は東高等学校の学区でした。
ところが、マサ少年の受験から大学区に変わりましたから、札幌市内の公立高校はどこでも受験することができるようになりました。
また、これに伴い、偏差値と内申点という新しい概念が持ち込まれます。もともとは偏差値で決まっていた受験指標が内申点を換算してその両面で受験可能な範囲を決めることになったのです。現在と違って実際は受験成績で入試の得点に内申点を5:5とか6:4で加味することはありませんでしたが、受験校決定の指標として捉えられるようになったのです。

札幌市内の公立高校は、成績上位からだと、南高校、西高校、旭ヶ丘高校、北高校、開成高校(東京の著名な私立とは異なります)、東高校、月寒高校、啓成高校(新設3年目)という序列ではなかったかと思います。これらが普通科の高校で、その他に京北商業など商業高校と工業高校が並んでいます。啓成高校には理数科という特別なクラスもありました。

マサの母親はできれば、トップまたは順トップには行って欲しかったと思われます。父親は当時の第一中学校(現在の南高校)出身ですから、やはりトップとは思っていました。しかし、偏差値と内申ではそこまでは届かずという状況のため、まぁ、旭ヶ丘高校には行ってほしかったと思います。というよりもそのような話し合いは進んでいたと思います。

しかし、マサ少年の担任の木村先生は、それを許しませんでした。彼女は今思えば、不合格を出したくなかったのでしょう。安全圏のさらに安全な○○高校を受験することを薦めます。

マサ少年の結論は、木村先生の意見の通りでした。
その夜、マサ少年は母親に問われます。「どこを受験することにした?」
「○○高校」だ。

その時の母親の顔と言葉をマサ少年は忘れられません。
「どうしてチャレンジできないのだ。レベルを下げることにどうして納得したんだ。情けない奴だ。」と涙を流しながら言うのです。マサ少年の母親は苦しさや悔しさを乗り越えて来た人でした。だから、自分ができる最大限を使わない息子の態度に腹を立て、残念にも思ったのでしょう。

でも、マサ少年はその真意を汲み取れるほど洞察力がある少年でもなく、自分に強い少年でもなかったのでした。

受験が終了し、入試得点を調べてみると、何と旭ヶ丘にも十分に合格することができる得点をとっていました。(家庭教師松井は高校の先生でありましたから、内密に調べてくれたようです。)

それでも、過ぎた道には戻れません。マサ少年は○○高校に進学し、いよいよ高校生活をスタートすることになります。

はたして、こと英語に関して言うと、マサ少年の高校での学習はいかなるものになるのやらです。

※登場する高校名は当時のものです。
※マサ少年の進学先を○○高校としているのは、その高校へご迷惑をおかけしないためです。
マサ少年のようなバカボン少年の言動がその高校とは一切関係はございません。
すべて人生の責任はマサ少年が負うものです。


11月19日(金曜日)へ続く

2010年11月5日金曜日

「ば~か」にわが母うける

Friday November 5th 2010

マサ少年宅に家庭教師が来ました。綺麗な女子大生ではありません。
現役の高校の先生です。中年の男の先生です。メガネをかけています。
書道の先生です。
でも数学も英語もできるのです。

マサ少年は、すべての基本からスタートしなければいけないほどに学習事項が身についていません。
何をやってよいのかもわかりません。
質問されても答えられません。
どう答えてよいのかもわかりません。

しかも、高校の先生です。
半径1メートル以内にいるのです。

こんな緊張は・・・・・・
それこそ美人で胸が豊かな女子大生がそこにいるのと同じように緊張します。
緊張の種類は全く違いますが。

     ここで一つだけ大人の英語表現
    She has big tits.  意味はご自分で調べてください。
上の表現に関連あります。

さて、マサ少年の家庭教師を仮に松井先生と呼ぶことにしましょう。

松井先生がマサ少年が不明な単語が
出てくると辞書で意味を調べさせます。
これは良いことです。
また同じ単語が登場します。

答えられないと、「馬鹿」といいます。
しかも大きな声で。

マサ少年たちは二階にいました。その時間はお袋が台所で夕食を作っています。

それがお袋にまで聞こえるのです。
マサ少年のお袋はマサ少年が叱られるたびに笑っていました。

指導が終わってお茶を飲んでいると松井先生に
「どんどん怒鳴りつけてください。」と言っていました。

マサ少年は週2回の松井先生の日までも嫌いになりました。


11月12日(金曜日)へ続く


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