2010年10月29日金曜日

まいったカテキョーか?

Friday October 29th 2010

マサ少年は、英語が嫌いになったわけではありません。
ただ勉強が面倒でよく分からないのです。
前回の interested の音の問題も、自分で工夫をすればよかったのだと思います。
諦めなければ正しくできた喜びが学習モチベーションを高める結果になったと思います。

でも、マサ少年は、メタ認知能力が低かったのだと思います。 
だから、自分の行動を冷静に見極めて、自分がどのようになっていれば良いのか、それに対してどうすれば良いのかということが分からなかったのです。

このときの経験は、後にマサ少年が学習塾で指導を始めたときに非常に役立ちます。

「アクセント」とは如何なるものか、それは、日本語にはないことなので、中学生にわかるはずはないのです。音感が優れた人であれば、音のことですから楽にキャッチできます。

マサ少年は、残念ながらout of tuneです。
音を聞いたとおりに出すことは苦手でした。
歌を上手く歌ったためしはありませんでした。

ですから、音を真似なさいと先生に言われてもできないのです。

マサ少年がマサ先生になったときには、次のような方法を考案しました。
1.楽譜が読めるか理解している子。黒板に音楽の5線と音符と音楽記号を書いた。
2.音感が良い子。アクセントは強いだけでなく音が高くなることを教えた。
3.運動神経だけが目立つ子。体でアクセントのある部分は伸びて、無い部分は沈めてというように動作させた。

出来ない生徒に対しては、その生徒の学びの特徴を利用しました。

後に、これは心理学者ハワードガードナーの多重知能の理論によって、
正しいアプローチ法であったことが証明されます。

ただし、マサ少年にマサ先生がついていたわけではありません。
マサ少年は、その時は何の役にもできませんでした。
しつこいようですが、自分自身を救うメタ認知能力がなかったのです。

結局、中学2年生の後半になると、担任の今井先生から呼び出しが来ます。
今井先生は数学の先生です。数学ももちろん出来ないマサ少年ですが、
他の科目もほとんど「3」なので、
心配した今井先生は家庭教師をつけることを勧めるのです。

当時の札幌には学習塾は無かった(あったかもしれないけれど利用者はいなかった)ので、学習の補助は家庭教師でありました。

大変なことです。今井先生の紹介でマサ少年の担当になった先生は、高校で書道を指導している先生だったのです。その先生が週に1回から2回マサ少年の指導のために、英語と数学そして時に国語の指導のために来るのです。


11月5日(金曜日)へ続く


中学英語の指導を工夫する
http://masamiasai.blogspot.com/
中学英語を役立てて英語の達人になろう
http://ameble.jp/e-family-ma
小学校英語活動「指導ノウハウ」
http://www.mag2.com/m/0000275504.html

2010年10月22日金曜日

大問題2 interested事件

Friday October 22nd 2010


マサ少年はその後も低迷しながら学校生活を過ごしていました。
マサ少年が中学生になる一年前は1964年(昭和39年)です。
その当時の日本経済はがむしゃらに伸びている時代です。
代表的な出来事は東海道新幹線、首都高速道路の開通による首都の交通網の整備と東京オリンピックです。
中学3年間での大きな出来事は次のとおりです。

1965年(昭和40年)中1    朝永博士、ノーベル賞受賞
                                                            吉展ちゃん事件解決※1
  山炭夕張鉱でガス爆発61人死亡
                                                            アメリカベトナムへの北爆開始
1966年(昭和41年)中2    全日空B727型機、東京湾に墜落※
                                                            カナダ太平洋航空機 
                 羽田で着陸に失敗し爆発炎上
                                                            英国海外航空機
                 富士山上空で空中分解
                                                            全日空機、松山沖で墜落
                                                            ビートルズ来日
1967年(昭和42年)中3     羽田学生デモ※3
                                                             小笠原諸島返還きまる
  吉田元首相死去で国葬

※1 吉展ちゃん事件(1963年)の容疑者・小原保を逮捕。
      翌日、自供により都内の円通寺の墓の下から吉展ちゃんの遺体が発見された。
※2 2月4日、千歳から羽田に向かっていた全日空ボーイングB727型機が消息を断ち、
      東京湾の海上と水深20メートルの海底からバラバラの機体と遺体が発見された。
      乗客・乗員133人全員の死亡が確認された。
※3 佐藤首相の一連の訪問外交に反対して起こった2次にわたる羽田事件は、
      1960年の安保闘争以来最大の流血デモとなった。

このような波乱万丈の世の中ですから、日々本当に平穏ということはなかったと思います。ビートルズというこれまでの社会常識を根底から覆す(男子で長髪など)文化の変化が起きて来た時代でもあります。

さて、英語の成績はまあ良いわけがありません。そんな時にマサ少年と英語に関する第二の事件が発生するのです。それは interested 事件と呼びます。

みなさんよくご存知の「~に興味がある」=be interested in ~ という表現を学んだ時です。意味は簡単です。覚えることも簡単です。マサは記憶は良いのです。
しかしですよ。この be interested in interested は第一音節にアクセントがありますね。
ですから、interested として強調されるのですが、それを上手く強調できないのです。これが本当に大変だったのです。英語担当の松本先生が発音するのですが、その通りにはできないのです。

  先生「interested
  マサ「interested
  先生「interested
  マサ「interested
  他の生徒「笑う」
  先生「interested
  マサ「interested
  他の生徒「笑う」

マサの気持ちは皆さんに伝わりますよね。もうダメです。
これ以上やってもできないものはできないのです。
小学校の時にいくらやっても逆上がりができなかったのと同じです。
みんなの前でこれ以上練習することは、恥の上塗りです。

こうなると人の行動はどういうふうに触れていくかわかりますね。
恥をかく行動を取り除くのです。
ここでは英語の発音でした。発音して恥をかくのなら、発音しないで叱られた方がまだプライドは守れるものです。

これによって英語が得意で早く英語を話したいと夢見ていたマサ少年と英語との関係はぶっちりと途切れたのです。


10月29日(金曜日)へ続く


2010年10月15日金曜日

大問題発生!

Friday October 15th 2010


マサ少年が勉強力を発揮したのは中1最初の全校実力テストでした。
第6位という快挙です。
1は10クラスだったので、当然クラストップです。
しかし、それ以降は成績がどんどん下がります。

理由は簡単です。

マサ少年は記憶力が良かったようです。
小学校のテストは単元毎に実施されます。
マサ少年は授業での記憶で点数が取れたのです。
家での復習はテストで高得点を取る目的としては不要だったので、
マサ少年はいわゆる宿題以外の家庭学習習慣は身についていませんでした。

中学では全く異なった学習作戦が必要です。
試験は2ヶ月に一回です。
学習内容を定着させ、しかも試験では知識の運用力が試されるように
なりました。そのためには復習が欠かせません。

しかし、復習をするという家庭学習習慣がついていないマサ少年にとって大きな問題でした。自ずと成績は下降線をたどりました。

教訓:
家庭学習習慣は小学生のうちに
しっかりとつけること。

そんな折にマサ少年に一つの出来事が起きます。

I have a book. を皆さんは「私は一冊の本を持っています。」と訳しますね。
不自然な日本語ですが、中学の最初は基本の型を身につけなければいけないために納得をしますね。
文法事項として、have の後ろ(動詞の後ろ)に来る言葉は目的語と言って、日本語では「~を」という訳を付けなさいと学びました。

そこで、I like an apple.という英語を日本語に直す際に、マサ少年は「私は(一つの)りんごを好きです。」と言いました。

すると、それまで、「動詞の後ろにある言葉」は
目的語と言って「~言っていた先生が、
「りんご好きです、でしょう。」と言います。

これはマサ少年にとっては頭蓋骨陥没の衝撃です。

さっきまで動詞の後は目的語で日本語では「~を」と言っていた人が、
なんでlikeのときだけは、「りんごが」と言うのだろう。
が頭いっぱいに広がりました。


教訓:
日本語の品詞と英語の品詞は異なるから
一対一対応はしない。

国文法で考えますと、「好き」は動詞ではなく形容動詞です。
英語でlikeは動詞ですから、本来日本語でも、「好む」という動詞を
あてはめなければいけません。

教訓:
日本語文の主語述語関係と
英語文の主語述語関連は全く違う。

日本語で「述語」になる品詞は
    ↓↓↓↓
1名詞・2動詞・3形容詞・4形容動詞です。

英語で「述語」になる品詞は
    ↓↓↓↓
1動詞(be動詞・一般動詞)です。

この違いを中学の英語教師が認識していれば、
英語と日本語の共通点・相違点を指導できますし、
日本語文法が自然に身についている中学生にも
納得できる説明ができるはずです。


この事件(?)がきっかけで、
マサ少年は英語を日本語に直すことが少し怖くなってきました。
そして、同時に英語って難しいのだなという気持ちが芽生えてきました。

そして、一年後にinteresting事件が起きることで
英語とは「おさらばよ」という状況になっていくのです。

10月22日(金曜日)へ続く



2010年10月8日金曜日

中学へ進学・英語学習スタート

Friday October 8th 2010

マサ少年も中学校に進学することになりました。
英語の教科書も数学の教科書もどの教科書も新品です。
詰め襟の学生服も学生帽も学生カバンもすべてが新品です。
そして、気持ちも新品にして中学校へ通い始めます。

マサ少年の記憶には、小学校時代に熱心に勉強をしたという記憶はありません。
短期の記憶力は相当優れていた小学生時代、
その才能は小学校で好成績を取得し続けるには、
十分でありました。
小学校でのテストは単元毎に頻繁に行われていたので、
忘れる前にテストをしてくれていたことと、
学習内容がマサ少年には簡単なものが多かったからだったのでしょう。
少なくとも満点以外の点数を取ることは稀だったようです。

ただし算数では、著しく低い点数を取ってきたことが2回ほどありました。
それは、速さの問題です。
その頃のカリキュラムは相当に充実していましたので、
学習内容はきちんと勉強さえすれば、
現在の中堅私立中学校に合格することができる程度のことは
やっていました。

しかし、速さの応用問題のテスト時には、
100点満点の30点程度しか取れない状況がありました。
この辺りに、マサの弱点が潜んでいたのです。
いわゆるしっかりと学習をして基礎を固め、
その基礎の上に知識を積み上げていくということが
実は苦手だったのだと思います。

マサ少年が入学した中学校は一条中学校という名前でした。
札幌の街は京都と同じように、碁盤の目になっていて、
東西に伸びる通りは一条、二条、三条・・・と呼ばれます。
この中学校は北一条通りと豊平川との交点に当たる場所。
すなわち北一条通りの端っこにありました。いわば川縁の学校です。

三角形の敷地に三角形に建物が配置され道路に面した2辺が校舎棟、
底辺は土手に面していて、そこに屋内体育館があり、
三辺に囲まれて、運動スペースがあります。
屋外ですが、バレーボールコートが2面とれる広さです。

グランドは体育館のさらに川寄り。
分かりやすくいうと、土手(堤防)を越えた向こう側です。
要するに河原を整備してグランドが作られています。
年に5ヶ月は雪に埋もれていますので、
あまり役には立ちません。

体育祭は円山競技場を拝借して実施していました。

この中学校は市の中心部からも歩いて15分程度でした。
通学してくる生徒は市の中心部で商店の経営者の子どもも居ましたし、
地元のラーメン屋の子どもやサラリーマンの家庭の子もいました。
さらに川下の雑品屋さんの子もいました。
雑品屋さんというお仕事は廃品を集めて部品を分解して、
材料として売る商売です。
ですから労力のわりには収入が低い大変きついお仕事です。

所得だけや生活環境で考えると、
一つの公立中学校に
高所得層から低所得層までの家庭の
子どもたちが集っていたという、
珍しい中学校であったと思います。

また、その中学校は、「荒廃した中学校」として
市内では結構名前が通っていました。

その当時ですから、ツッパリという名前もありません。
「不良」と呼ばれていました。

学校内での今風のいじめはありません。
大概はみんな仲間です。
「不良」も普通の子も良い子もみんな仲良しでした。
先生の権威も威厳もありました。
先生が生徒から殴られることは有りません。
先生が生徒を殴ることは日常のことです。
ただ一回だけ、卒業式にだけはお礼参りという
儀式的な部分は残っていたかなという状況です。
(美談すぎるかな)

不良男子の典型的なスタイルは、短ランです。
いわゆる学生服の丈は短く(といってもそれほど短くはしていません)して、
ズボンは「ラッパズボン」です。
ラッパズボンとは
膝から上がグッとしまっていて、
膝から下はラッパが開くように裾が広がっています。

女子群は「ずべこう」と言われていました。
スケ番という言葉はその後でてきました。
スカートが相当長いのです。
長すぎる人は床までついていたかも知れません。

今とは全くの逆状態です。

そのような中学校に進学したマサ少年は、勉強にはあまり興味を持たなかったようです。

2010年10月1日金曜日

言葉ってなんだ?

Friday October 1st 2010

 “○◆*+V%$#V¥@△□”
これがマサ少年の小学校時代の英語でした。
リズム感覚とVの発音以外は英語ではありません。
何を言っているか本人以外はわかりません。
でも、大切なことは本人がわかってしゃべっているということです。

 言語の基本です。言語は意味を含有した記号(信号)です。
話し言葉が言語の最初の発生です。文字は記録が必要と考えた民族だけが保有した記号です。現在でも世界中の言語の大半は文字を持ちません。

 吉本隆明の「言語にとって美とは何か」の中に、言語の発生について言及している部分がある。
山の部族の者が一人、普段の狩猟テリトリーを超えて進んでいると、彼の目に青い水をたたえる広大は場所が目に入る。
あまりに驚いた彼は、それを部族の仲間に伝えるために駆け戻る。
部族の仲間に彼は、その場所の方向を指さして「ウッ」と叫ぶ。
部族の民は、尋常ではない彼の様子を見て、彼についていく。
その間中、若者は「ウッ、ウッ」と指さしながら進むのである。
そして全員がその広大は光景を目にしたときに若者の発している「ウッ」という音声と「その物」とが一致する。
「ウッ」に意味が乗り移り、
「海」という言語がその部族に生まれた瞬間である。

 これと同様に、マサ少年が発する言語“%V$#¥○◆V*+□@V△”は、マサ国の言語として、もしも彼以外の国民が居れば共通言語になっていったであろう。
もちろん、マサ言語を理解できたのは、後にも先にも、マサ少年とたまにマサ少年の戯言に付き合ってくれた優しい姉様だけであった。

 こうしてマサ少年は、英語学習への大きな期待を胸に秘めて、中学校へ進学していくのである。

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(ことばのToy Box1)
マサ少年が住んでいた北海道は、明治になって北海道開拓が始まるまでは北方先住民族のアイヌが住む土地であった。だから土地の呼び名はアイヌ語であった。札幌もアイヌ語のサツ・ポロ・ベツ=乾いた大きな川という語からとったもの。札幌の南(今は市街地が大きくなったので中央)を流れる豊平川とそれが作る広大な扇状地がその言葉の元であるらしい。


※英語を学習する諸君
   英語は自分達(民族)の文化・歴史・習慣や自分の思想や哲学を
   他の国の人に発信するための手段である。一方でその逆もあり、
   また、意見を交換するということもある。
   だから、英語を学ぶことを日本を学ぶことのきっかけにして欲しい。
   そうスマイル・マサは思っている。


中学英語を利用して「英語の達人になろう」
中学英語の指導法を工夫する
教育総合「こどものセルフエスティームを高める」