・・・主人公の名前は 「サム」
・・・・・・あるとき「英語の達人になりたい」と考えた
・・・・・・・・・・そして今その道は遠いけど、
・・・・・・・・・・・・・・着実にゴールに近づいている。
サムの物語を通じて、英語が苦手な日本人が、
英語が得意な国際人に近づくシークレットが見える。
英語とは関係がない雑学も情報も見られる。
<毎週金曜日発行 本日「第一話」>
★主人公サムは札幌市で生まれた。
父親の転勤で今のさいたま市、当時の大宮市天沼一丁目にて
2年間生活をし、そこで大宮市立東小学校に入学した時期を
除けば、後はずっと札幌で生活をしていた。20歳までは。
サム少年は札幌市立東北小学校に転校する。
テレビが自宅にやってきたのは、小学校2年生の時。
その頃のテレビはもちろん白黒(モノクロ)番組のみ。
テレビのサイズも縦横奥行きがそれぞれ60センチ程もある
大きさの箱型で側面は木製である。
その大きさでありながら画面は14インチしかない。
それ以上大きな画面のテレビは家具ほどの大きさになる。
ビクター製のテレビであった。ビクターのロゴマークは
蓄音機にビクターという名前の犬が耳を傾けて
音楽を聴いているというデザインであり、当時は結構有名であった。
http://www.jvc-victor.co.jp/company/profile/nipper.html
カラー放送は無かった。番組も時間が限られていた。
多くは時代劇かアメリカの西部劇であった。
子供向けにはNHKの人形劇「チロリン村とくるみの木」が
有名であった。
その人形劇終了後は、かの有名な井上ひさし原作の
「ひょっこりひょうたん島」である。
それ以外には「月光仮面」「少年ジェット」などであった。
まるで、西岸良平の「三丁目の夕日」の世界である。
札幌の町の交通機関は路面電車と市営バスであった。
マサ少年は、西部劇が大好きだった。
当時放送されていた西部劇はアメリカのテレビ番組で、
「ララミー牧場」「ローハイド(若きクリント・イーストウッドが出演していた)」
「ボナンザ」「カートライト兄弟」などである。
その後放送された戦争ものの「コンバット」はあまりにも有名である。
余談であるが、少年漫画雑誌は「少年マガジン」「少年サンデー」であったが、
マサ少年はそれらを購入して読むことは許されませんでした。
こらのテレビドラマを中心に見ていたことと英語とのつながりを
マサ少年の深層心理にそっと入りこんでいたのだろう。
(続く かなり続く)
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