2010年9月24日金曜日

Vの発音

マサ少年には姉さまがいました。
その姉さまとは2学年違いでした。
ですので、マサ少年が4年生の時に姉さまは中学校に進学します。
やがてマサも通うことになる札幌市立一条中学校です。

その学校は札幌の中心部を流れる豊平川にかかる一条橋のたもとにありました。
その中学校に関するエピソードは非常に興味深いものでしが、今日はそこまでは話をすすめません。姉が中学に進学したこととマサ少年の英語への興味とはどのようなつながりなのでしょうか。

それは姉様の担任になる英語担当の教師に話が及びます。

当時は英語の教師といえば、戦後の占領軍の本で生の英語を学んだ人間か、大学でイギリスの本格英語を学んだ人間かのいずれかという状況がありました。

今のように大学で英語学科や英文学科を卒業したらついてくる教師資格のような形式的なものではなく、英語を生業にしようという野武士的な教師が多数いました。

姉さまの英語担当教師は正に本格派でした。

そこで彼女が家に持ち帰るほど感動したものは、haveの発音でした。
というよりvの発音です。

現在ではbvもカタカナにすると同じですが、
当時はbはバ行、vはヴァ行として明確に分割されていました。
けれども、だれもヴァの音を意識して出す人はいなかったのです。

しかし、姉さまの担当教師は違います。
それこそ学校でも町中でも歩いているときには常に英語のフレーズを口ずさんでいる人でしたから、vの発音は、欧米人のそれよりも、さらに大げさな発音だったのです。
それを姉さまが家に持ち帰るものですから、マサ少年もいっぱいの興味顔で聞きいっていました。 もう、それは、それは熱心にvの発音をしていましたね。

小学校4年生のマサ少年が持っている「英語力(?)」はローマ字英語からさらに英語らしい発音を身につけ進化を始めるのです。

ここで正しい英語学習法を姉さまから教わっていたら、マサ少年の英語力はまた違ったものになっていたでしょうが、歴史に「もし」はありません。

マサ少年がこのときに得た英語の知識はVの発音と英語的なリズムだけでした。

※ところで、みなさん札幌という市の名称はアイヌ語です。
この言葉と豊平川とは関係があるのですよ。
それは、次週 10月1日(金曜日)にお伝えします。


中学英語を使って英語の達人になるブログ

2010年9月17日金曜日

初めて英語に触れる

September 17th 2010

マサ少年の家には、不思議なことに原書の物語(ハードカバーでしっかりしているもの)の本がありました。二冊だけです。どうして有ったのかわかりません、とにかく二冊だけ有ったのです。たぶんアメリカかイギリスの小学生向けの本だと思います。中の挿絵は日本の柔らかなそれとはまったく異なり、原色でカラフルなイラストでありました。

さて、マサ少年は小学校の4年生のときにローマ字を教わります。「ne mo ha mo nai koto wa iuna」という文でした。もちろん訓令式です。(この当時文部省では訓令式を、外務省ではヘボン式を推奨して使っていました。)訓令式とヘボン式とは表記の方法が異なります。日本語の音とひらがなを重視したのが訓令式でより英語的で標準式と呼ばれているのがヘボン式です。

例えば「た・ち・つ・て・と」は訓令式では、ta, ti, tu, te, toですし、ヘボン式では ta, chi, tsu, te, toです。マサ少年は天才的にローマ字の記述方法をあっと言う間に学んでしまった。そこで、彼は家にある英語の物語にローマ字で挑戦するのである。例えばnameは「ナメ」のようにである。

ただし、マサ少年は時々見てきた映画での英語や、NHKで放映される字幕版の映画などで生の英語の音とリズムをキャッチしていた。これにローマ字読みの力を加えると、なんとなく英語らしい新言語が生まれたのである。「★※△!+□凸凹※」という音である。この音にはアクセントがあり、巻き舌があり、破裂音らしい音がありで、「ウソ英語」に聞こえるが、なんと言っても、文字や絵本まで存在するのであるから、英語をぶつぶつと読んでいると思う人がいても不思議ではなかった。


〔雑学の小箱〕
ヘボン式ローマ字を日本に紹介したのは、アメリカ人医学宣教師のJames Curtis Hepburnさんです。
1859年に来日1892年に帰国。神奈川県に住み、和英辞書『和英語林集成』を刊行。この第3版で採用されあローマ字のつづり方を現在ヘボン式綴り方という。
からは塾を開いて洋学を教えた。その女子部は横浜のフェリス女学院、男子部は東京の明治学院になった。
ヘボンはHepburnの発音を聞き取り間違えた結果から来たといわれている。ヘップバーンがヘボンに聞こえたのは正しい音をそのまま表そうという努力の結果であろう。何でもカタカタ表記で日本語らしく書き表さない当時の人々の気概を感じる逸話だ。

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2010年9月10日金曜日

始まり始まり

・・主人公の名前は 「サム」
・・・・・・あるとき「英語の達人になりたい」と考えた
・・・・・・・・・・そして今その道は遠いけど、
・・・・・・・・・・・・・・着実にゴールに近づいている。

サムの物語を通じて、英語が苦手な日本人が、
英語が得意な国際人に近づくシークレットが見える。
英語とは関係がない雑学も情報も見られる。


<毎週金曜日発行 本日「第一話」>

★主人公サムは札幌市で生まれた。
父親の転勤で今のさいたま市、当時の大宮市天沼一丁目にて
2年間生活をし、そこで大宮市立東小学校に入学した時期を
除けば、後はずっと札幌で生活をしていた。20歳までは。

サム少年は札幌市立東北小学校に転校する。
テレビが自宅にやってきたのは、小学校2年生の時。
その頃のテレビはもちろん白黒(モノクロ)番組のみ。
テレビのサイズも縦横奥行きがそれぞれ60センチ程もある
大きさの箱型で側面は木製である。
その大きさでありながら画面は14インチしかない。
それ以上大きな画面のテレビは家具ほどの大きさになる。
ビクター製のテレビであった。ビクターのロゴマークは
蓄音機にビクターという名前の犬が耳を傾けて
音楽を聴いているというデザインであり、当時は結構有名であった。

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カラー放送は無かった。番組も時間が限られていた。
多くは時代劇かアメリカの西部劇であった。
子供向けにはNHKの人形劇「チロリン村とくるみの木」が
有名であった。
その人形劇終了後は、かの有名な井上ひさし原作の
「ひょっこりひょうたん島」である。
それ以外には「月光仮面」「少年ジェット」などであった。
まるで、西岸良平の「三丁目の夕日」の世界である。
札幌の町の交通機関は路面電車と市営バスであった。

マサ少年は、西部劇が大好きだった。
当時放送されていた西部劇はアメリカのテレビ番組で、
「ララミー牧場」「ローハイド(若きクリント・イーストウッドが出演していた)」
「ボナンザ」「カートライト兄弟」などである。
その後放送された戦争ものの「コンバット」はあまりにも有名である。

余談であるが、少年漫画雑誌は「少年マガジン」「少年サンデー」であったが、
マサ少年はそれらを購入して読むことは許されませんでした。

こらのテレビドラマを中心に見ていたことと英語とのつながりを
マサ少年の深層心理にそっと入りこんでいたのだろう。

(続く  かなり続く)



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